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医師紹介

院長臼井敏晶医師

略歴

名古屋市出身。
愛知県立明和高校卒業後、
山梨大学医学部医学科へ進学。
卒業後は豊田厚生病院での研修を経て
名古屋大学精神科へ入局。
その後は大学の関連病院で勤務。

趣味:読書 釣り 運動

資格・所属学会

・精神科専門医(日本精神神経学会)
・精神保健指定医(厚生労働省)
・認定産業医(日本医師会)
・麻酔科標榜医(厚生労働省)
・麻酔科認定医:2017年~2022年
       (日本麻酔科学会)
・日本精神神経学会
・日本ADHD学会

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生い立ち

院長臼井敏晶医師
院長 臼井敏晶

はじめまして。院長の臼井敏晶です。
若くみられがちですが、今年で医者11年目、年齢は36歳になります。
はじめて受診される方は、

患者さん
患者さん

どんな先生かなぁ?
話しやすい先生がいいな。

など、いろいろと不安に感じると思います。
受診する前に少しでも主治医の「人柄」の部分を感じてもらえるように、僕の生い立ちについて書かせて頂きます。

出身は愛知県名古屋市です。
2人兄弟の2番目として生まれました。
父も母も特に医者家系ではないです。小学校6年生の時に父は海外単身赴任となり、僕の大学入学と同時に帰国したため、小学6年生から大学1年生まで、ほぼ母子家庭で育ちました。

院長臼井敏晶医師診察風景
診察風景

小学生の頃は、サッカー、ドッジボール、ミニ四駆などにハマり、よく遊んだものです。この頃から僕の凝り性な性格はあらわれていて、何事も好きなことは徹底的にやり込み、好きだったミニ四駆のレース大会では何度か優勝もしました。そして、「凝り性」という性格は大人になってからの仕事でも役立っています。好きなことなら精神医学も遊びも徹底的に調べ込んで勉強してしまう性格なんです。その分、好きな物の買い物に時間がかかるのが悩みです。

小学5年生の時に、担任の先生から「臼井君は朗読が上手で声がいいので、将来はアナウンサーになるといいかもしれませんね。」と言われたことを覚えています。アナウンサーではないですが、結果的には、精神科医という「声」=「会話」を使う仕事には就きました。

中学生になると反抗期に入り、父親がいないのを良いことにやりたい放題。家に帰る時間も遅く、悪友とビリヤード場に入り浸ったりしていましたが、勉強は得意でしたので愛知県立明和高校に進学することができました。

院長臼井敏晶医師カルテ入力中
カルテ入力中

高校:愛知県立明和高校

一時期は実力テストで学年2位になるほど勉強はできたのですが、その後調子に乗ってしまい、自分の好きな「数学」と「体育」だけ出席して、あとは学校を抜け出して悪友と映画を見に出かけたり、のびのびと過ごしてしまいました。当然「数学」と「体育」以外の成績は落ち、大学受験でも志望の大学には受かりませんでした。高校2年生のときから「精神科医になりたい。」という思いはあったので、親に頼み込んで1年間浪人し、学費がかからない国公立の医学部を目指して右手の指の爪がペンに沿って歪んで伸びてくるほど数学以外も猛勉強をし、何とか翌年山梨大学医学部に合格します。

大学:山梨大学医学部

大学では何もかも新鮮でした。深夜のコンビニや家庭教師など、バイトもたくさんしました。バイト先のコンビニのオーナーさんは良い人で、廃棄処分になったコンビニ弁当を全部くれるのが嬉しかったです。いつもバイト帰りに、コンビニのビニール袋3袋分くらいのお弁当をもらって帰るので、食費がずいぶん浮きました。それを狙って僕のバイトが終わる時間になると、大学の友人も現れて、何なら僕以外の友人もコンビニの廃棄弁当で養っていたんじゃないかと思います。
そして、卒業試験も医師国家試験も無事ストレートで合格し、医者になりました。

地元の名古屋市内は病院がたくさんあるため、救急外来の患者さんも分散して医師としての経験が不足するのを心配し、たくさんの経験を積める名古屋市外の大病院でたくさん医師としての経験を積みたいという思いから、豊田市にある豊田厚生病院に就職し、僕の医師としての人生がはじまります。

初期研修:豊田厚生病院

院長臼井敏晶医師

自分でたくさん経験を積むために選んだ病院でしたが、本当に夜間の救急外来は大変でした。そして、そこでの経験から自分の考えに変化が生まれます。夜間の救急外来には、先輩にあたる上級医と一緒に入るのですが、上級医が精神科医のときはとっても頼りないのです。彼ら精神科医は全員とは言いませんが、体の問題や体の急変にはめっぽう苦手な方が多い。もちろん専門分野の精神的な不調の患者さんには頼りになりますが。

そんな精神科医の先輩方を見ながら、「このまま精神科に進んで、僕はこの先医者として大丈夫なのか?」と疑問が生まれます。医者なのに、体の問題や体の急変に苦手意識があって、患者さんに対して誠実と言えるのか? 自分の家族が患者さんだったら、そんな主治医を望むのか? 
いろいろと悩んだ末に、「からだの急変にも対応できるよう、はじめは麻酔科に所属して、体の急変や全身管理について勉強しよう。」と決心します。麻酔科は体の急変のスペシャリストです。
そして、同時に、

『こころの急変』にも『からだの急変』にも対応できる医者になりたい。

と、自分が目指す医師像もこの頃にできあがりました。

診察室での院長臼井敏晶医師
診察室での院長

2年間の初期研修後は豊田厚生病院の麻酔科に入職し、麻酔科医になります。今でこそスタッフ数が充実していますが、当時の豊田厚生病院の麻酔科は人不足で、毎晩緊急オペの麻酔を夜中まで指導医と一緒に担当し、連日めちゃくちゃ長時間働きました。本当に大変でしたが、同時にどんどん自分の経験やスキルが伸びていくのが楽しくもありました。

ここでも僕の凝り性な性格が出て、心臓血管外科手術の麻酔の800ページくらいある専門書を読みふけったり、週に2回は心臓の手術の麻酔を担当するなど、どんどん経験し、どんどん勉強して、あっという間に2年間が過ぎ、3年目に麻酔科認定医、麻酔科標榜医という資格も手にします。そのまま麻酔科医を続けようか悩みましたが、もともと高校生の頃から精神科医を目指していたこともあり、3年間で麻酔科医は辞め、地元の名古屋大学精神科に入局しました。

院長臼井敏晶医師

名古屋大学病院精神科

精神科医としての僕の人生のはじまりです。しかも、麻酔科でみっちり3年間も鍛えられているので、身体の急変にもやたら強い精神科医です。精神科の先生は、やはり身体のトラブルが苦手な方もおり、その時には指導医から逆に相談されて、僕の麻酔科医として経験が役立つ場面もたくさんありました。

名古屋大学精神科でも、凝り性な性格を発揮して、さまざまな専門書を読みながらもりもり勉強しました。流石に大学病院ということもあり、本当にたくさん学びました。特に尾崎教授が参加するカンファレンスでは、指導医たちの深い実臨床の知識に触れることができる宝のような時間だったと思います。

そこで学んだのは、「基本がいかに大事か」ということです。大学病院だからといって、特別な治療は限られます。しっかり患者さんと向き合い、基本のガイドラインに沿った方法で薬を使い、逆に余分な薬や中途半端な量での薬は使わない。基本に忠実な治療は美しいです。そこでたくさん経験して目が肥えてくると、名古屋大学に紹介されてくる患者さんの処方箋を見るだけでも、治療が美しいか美しくないかまでわかることも増えてきました。これは今の僕の治療方針にも影響しています。中途半端な量で、中途半端な薬剤を何種類も使う治療は美しくないです。名古屋大学精神科で学んだように、必要最小限の種類の薬剤を適切な量で使う治療を心がけています。そういった治療は得意です。

腕組みする医師達

大学で多くのことを学ばせてもらい、その後は名古屋大学の関連病院で勤務していましたが、次第に自分のやりたいことと、勤務先の目指す方針との間にギャップを感じるようになります。

どうしても入院施設という特性上、外来に割ける時間が少ないのです。
僕は気分障害(うつ病など)やパニック障害、社交不安症などのために、会社に行けなくなってしまったり、眠れなくなってしまったり、社会生活の中で困っている人を治療して、日常生活を取り戻して社会復帰する姿を見れることに医者としてのやりがいを感じていました。好きなことは凝り性なので、もりもり勉強するのですが、勤務先では外来に割ける時間が限られ、「勉強したことをもっと生かす時間が欲しい。」と息苦しさを感じるようになります。そしてついに、自分の夢を乗せて開業する決意をしました。

大曽根駅前こころのクリニックは、大曽根駅徒歩2分という立地にあり、交通の便が良いので、気軽に受診しやすいです。そこで、大人のためのメンタルクリニックをつくり、こころの不調で会社に行けない、眠れないなど、だれでもなりえる身近なこころの病気で社会生活が難しくなってしまった方々に、名古屋大学で経験してきたような基本に忠実な治療を提供していきたいと思います。

院内には、こころの不調の患者さんがリラックスして過ごせるよう、凝り性な僕のこだわりがたくさん詰まっていますので、是非お気軽に受診してください。

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